2020年8月19日水曜日

【しのぶ奇譚】blog更新:犬の散歩に、ご用心

今回は昔、お盆の時期に体験した怪談です。地元の方は場所もわかるかと思います。こんなことがあったんです。

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それから、ずっと夜はあの道は通れなくなりました。

 

この内容はず〜っと前に奇譚で載せていたものをまとめたものです。

現在、ブログを整理中です。

だんだん新しいものも掲載していこうと思っています。

 

 

2020年7月30日木曜日

連載Blog「叔母をみとる 第8話 実は二人の生活は…

今回は多忙と落馬で遅れましたが、連載Blog「叔母をみとる 第8話 実は二人の生活は…」を追加しました。 二人の生活の失態に気がつくのが遅すぎた!と思うでしょうが、その頃の私としては時間がかかりました。読んでみてくださいな。

2020年6月30日火曜日

連載Blog:私の資産運用「3回目の大きな見直し策」追加


連載Blog:私の資産運用「3回目の大きな見直し策」を追加しました。
今回は、2019年末から2月5日までのコロナ直前の状況です。
このとき、株価が上がりすぎていて思う値段で買えないものもあり、数回に分けて購入していきました。
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2020年6月23日火曜日

連載Blog「叔母をみとる 第7話 返済ができない」

連載Blog「叔母をみとる 第7話 返済ができない」を追加しました。
私と会うことを本当に嬉しそうに思ってくれていたふみ子のあの無邪気な笑顔を思うと、胸が痛む。
そして私の夫の伸さんのことを「大〜い好き!あの人はいい人だ。」って言っていたふみ子も、いい人だった。
覚悟を決めていくことになる序章です。

2020年6月22日月曜日

連載Blog「年ベースでの投資体制づくりへ」

連載Blog「年ベースでの投資体制づくりへ」を追加しました。

私は、資産運用をほんの少しかじることで、自分の置かれている業界以外も繋がって動くことが実感できるようになって、社会の見え方が違ってききました。それによって他業種の苦労も少しだけ肌で感じられることが増えてきて、考え方の幅が広がり、少し楽しみが増えました。
お金に執着しすぎない、貯金の仕方として拙いながら楽しく取り組んでいます。みなさん、いっしょにやっていきましょう!
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2020年6月15日月曜日

連載ブログ:私の資産運用 スタートしました!

連載ブログ:私の資産運用 スタートしました!

政府の2000万円問題もあり、ある程度の年齢になったら貯金しておかないと・・・、と思う方も多いのではないでしょうか。でも、これを買うから的な貯金は結構みんな頑張れるのに、目標のない貯金は続きづらい。これはご褒美がないく、ただ黙々としていてつまらないのだと思います。しかし、はっきり言って老後資金が目標だと、必要とは思うけど、どうも漠然としていて、老後の生活のためっていう、その生活のためっていう目標がつまらないですよね。
だったらば、貯蓄自体が楽しいという方法はないかな?それなら続くでしょう。という発想から、模索をはじめてみました。
一言で資産運用といっても方法も種類もいろいろ。まずそれを知っていくことになったところから、運用状況などを掲載していきます。この、しのぶ奇譚・資産運用のメニュー&カテゴリーで連載していきますので宜しくお願いします。

1、先々に向けての貯金、といってもどうしたらいいのかわからない。そんな中、ちょこちょこ勉強しながら、楽しく始めています。どうせなら、貯金そのものが楽しくないとという考えです。こちらへ。

2、投資って、調べてみると本当に難しい!というか、わからないことがどんどん出てきて大変!でもそこが楽しいね。なんでも勉強したい人やほんの少しの金額で始めたい人にはもってこいの趣味かも!こちらへ。

 

叔母をみとる 第6話 連帯保証人

叔母をみとる 第6話 連帯保証人

いよいよのっぴきならないことになっていく扉を開けてしまいました。
すみませんが、こちらへ移動してみてください。

2020年5月22日金曜日

私の資産運用のはじめ

先々に向けての貯金、といってもどうしたらいいのかわからない。そんな中、ちょこちょこ勉強しながら、楽しく始めています。どうせなら、貯金そのものが楽しくないとという考えです。

2020年5月19日火曜日

叔母をみとる 第2話 父との約束

叔母をみとる 第2話 父との約束
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叔母をみとる 第3話 父の葬儀

叔母をみとる 第3話 父の葬儀 こちらへ。

子どものいない叔母夫婦をみとるということ。 1、ふみ子が訪ねて来る!

1、ふみ子が訪ねて来る!


「おい、ふみ子が来るってよ!」受話器を置きながら、父が目を大きくして嬉しそうに、私たち家族みんなの方を向いて叫んだ。

ふみ子は父の妹で、長男の父を筆頭にした7人兄弟の2番目。要は長女である。
その7人のうち、父と、ふみ子と、その下の妹の3人が千葉県の久留里町から東京に出ており、私が幼い頃は、毎週のように叔母たちとの交流があった。
特に父は、2歳しか年が違わぬふみ子とは気があったようだ。その頃ふみ子は独身で毎週末遊びに来ては、トランプをしたり、銭湯に行ったりと、私を可愛がってくれた。

私に7歳年下の弟が生まれた頃、ふみ子は江戸川区の商店街のある商店にお嫁に行った。若い頃に子宮ガンになり、子どものできない身体になっていたふみ子は、40歳過ぎての遅い結婚だった。その後も父は叔母のことが気になったのか、親戚づきあいといいながら、たまには足を運んで様子を見ていた。

10年くらいしてお姑さんも亡くなり、葬儀もすんだ頃、父はふみ子から、お店のある商店街の通りからちょっと脇に入った借地を今は倉庫にしているので、そこに家を建てようと思う。という話を聞いてきた。
夫婦二人っきりの生活で、家は2つもいらないだろう。アパートにでもした方がいいのではないかと、父は反対したようだった。しかし、後日、家が完成し、私たちはお披露目に呼ばれた。

その家は3階建てで、一見ふつうの邸宅のようだった。でも一歩入ると1階の倉庫の天井が異様に高い。1.5階分はある。2階は普通の和室、3階はがらんどうの広間である。

案内される父は、ふみ子にどういう使い勝手なのかを聞いていた。すると1階は、商店街のお祭りに使う花ぐるまを入れるための倉庫で、2階は自分たちの寝室。3階は商店街の集会に使うために作ったという。父は呆れてしまい、それで将来もやっていけるのかと心配もしていたが、叔母夫婦は、喜んでくれない父に立腹し、もうあまり来ないようにと言われてしまった。

その後は、東京にいたもう一人の叔母が父とふみ子の連絡役となった。このあさ子という叔母は、ふみ子のすぐ下の妹で、栃木県に嫁ぎ、その子どもたちもすでに所帯をもって近くに住んでいた。家族で、ふみ子のところに訪ねてきては、途中、私の家にも立ち寄ったので、ふみ子のところの、景気のいい様子はよく聞かされていた。
また父の一番下の弟家族も、ふみ子の家によく泊まりに行っていたようで、父はみんなの交流からある程度は安心していたのだと思う。

そして私たちは、祖父の葬儀や従兄弟の結婚式などの冠婚葬祭で会うくらいになり、20年近くの間、あまり交流がなくなっていた。

そのふみ子が、もう70歳にも近い年になって、急に訪ねてくることになったのだ。

叔母ちゃん、変わったかね?そりゃ、歳もとったから変わっただろう!などと私たち家族は言い合いながら、ふみ子の来るのを待つことにした。
だが電話のあった3時ごろから、待てども一向に来ない。夜になっても来ないね〜。と話していた父の顔がとても寂しそうに怒っていた。諦めかけた夜10時ごろ、ピンポンが鳴って叔母が来た。タクシーで来たのだが、道に迷ってしまって・・・。というのだが、こんなに何時間もおかしなことだ。と呆気にとられてしまった。
しばらくの間、懐かしさもあり、とりとめのない話をしていると、母が預かっているお金があることを思い出した。それは祖母の葬儀に出席できないというふみ子から預かり、一部を不祝儀等にしたものの残りであった。
ふみ子はこの何年も前に預けた金の残金を受け取り、その後、あまり話さずに帰っていった。

ふみ子が帰った後、いったい何しに来たんだろう。全く要件がなかったわけではないだろうに、と顔を見合わせた。

後に母が、あの気っ風のいいふみ子さんが、あの時のお金をぎゅっと握った様子が印象に残ったといっていた。すでにあの時ふみ子は、お金に困り始めていたのかもしれない。

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2020年5月1日金曜日

子どものいない叔母夫婦をみとるということ。

 
 
父の妹である私の叔母夫婦には子供がなかった。この夫婦は40歳になってから結婚した再婚夫婦で、その前にも後にもふたりには子供がなかった。

叔父は酒屋の二代目で、父親が亡くなってからこの酒屋を継ぎ、母親と商いをしているところに叔母が嫁いだ形であったが、姑にも可愛がられ、幸せそうに見えていた・・・

2005年3月14日に父が亡くなってから、次第にこの夫婦が生活に困窮していることがわかりはじめ、ふとしたことから私と夫で面倒を見ていくことになり、七転八倒していくという、実際に私が経験した壮絶な戦いのストーリーをいつか何かに書いておこうと思っていた。記録として。

だが、現代は子どもの数も少なく、私の同級生もふたり兄弟か一人っ子が主流。こういうことは意外にも多くの人の目の前に起こる可能性があるようだ。同じような立場に立たされている方がいれば、解決の方法論と勇気が少しでもお役にたてればと思い、いつか、とは言わずに、ここに書き始めることにする。

といってもまず、父の性格やら、叔母との関係など、まずはその辺りから書かないと何もわからないと思うので、実際どこから書いたらいいのやら・・・。
ということで、今日のところはこの前置きだけを告知しておく。